歎異抄の特徴
歎異抄の特徴のひとつに、親鸞の言葉がそのまま綴られているということが挙げられます。
親鸞が関係する書物には教行信証というものなどもあり、また親鸞のお歌にも有名なものが数多くありますが、歎異抄は書いたのは唯円だとはいえ、唯円自身が親鸞本人から聞いたありのままの言葉を書き残したもの。
いわば、親鸞の肉声であるともいえるのです。
こういった古典は文学的にも非常に貴重で、歎異抄は親鸞会など日本国内に留まらず、世界でも注目されている書物です。
このブログで歎異抄の著者は唯円としてきましたが、実は未だはっきりとは解明されておらず、如信であるとも、覚如であるとも言われています。
それどころか、近年までは親鸞の著であるとさえ思われていました。
それはやはり親鸞の肉声ともいえる内容が、人々をそう思わせたのでしょう。
ちなみに著者が唯円であるとする説は、数々の説の中でも最も有力とされています。
その理由は歎異抄の中に唯円の名が出されていることにあり、本文の流れを汲みとって妙音院了祥が提唱しました。
この、肉声とも言われる歎異抄ですが、親鸞が説いていた重要なことのひとつである二種廻向については歎異抄では語られていません。
二種廻向は生まれ変わりについての説法ですが、唯円は歎異抄から意図的に二種廻向を省いたとされています。
唯円自身が二種廻向について理解できなかったという説もありますが、おそらく異議・異端とは関わりのないことだったのでしょう。
しかし、親鸞の説くこととして重要な二種廻向が省かれていることで、歎異抄は完全な肉声ではないともいえるのです。
歎異抄:第五条
歎異抄第五条では、親鸞の経験として、亡き両親や既に他界してしまった者たちのために、供養のための念仏を唱えたことがないと言っている条です。
その理由の一つ目が、例えば念仏を唱えて両親を救うということが、自分には不可能だということ。
何故なら、人々は輪廻転生を繰り返す中で、様々な命と肉親や縁者の関係を結ぶためです。
両親を救うということは、芋づる式にあらゆる命を救うということになるため、救うためには浄土で生まれて仏となる必要があるのだとか。
理由の二つ目が、浄土真宗のお経や念仏に死者を救う力はないということ。
如来や師から伝え教えられた念仏は、それぞれが自らの生死を超えるために阿弥陀仏からたまわったとものであり、その功徳を造ってはいない親鸞が使者に施すことは不可能だというのです。
もっとも、自らの力で善行を重ねているのならば、それらの修行の功徳によって供養できるのかもしれない、とも書かれています。
この自らの善根によって死者を救うことを自力廻向といい、親鸞会でも説明しています。
第四条でも同じ解釈を述べましたが、やはりここでも、あらゆる命を完璧に救いに導くには浄土にてさとりを得ることが必要だとされています。
仏となってしまえば、生前に悪人だった者が六道や四生で苦しんでいるとしても、救うことができるだろうと。
例え我々が仏から救いを得ることがあっても、既に仏となられた方たちを煩悩を捨てきれない我々が何らかの方法で救ってあげることはできないのだ、ということです。
歎異抄:第四条
歎異抄第四条では、慈悲というものの種類について述べられています。
慈悲の種類、それは聖道門の慈悲と、浄土門の慈悲です。
歎異抄では、聖道門の慈悲とは、自分自身の力で人々を救うことだと説明しています。
人間としての自分の力だけであらゆる人々を救いだし、幸福へと導く。
これは一個人がどれほど望んだとしても、思いどおりに叶えることはできない、至難の慈悲です。
対し、浄土門の慈悲とは、まず自分自身が仏となってから人々を救うこと。
念仏を唱え続けて浄土に生まれ、仏になってからならあらゆる命を救い、幸福へと導くことができるのだとか。
それらを比べると、どうしても中途半端となってしまう聖道門の慈悲よりも、やはり浄土門の慈悲の方が確実だといえるでしょう。
遠回りをしででも、確実な浄土門の慈悲を選ぶ方が真の慈悲だというのです。
そのためにも、必要なのは信心を持つこと。
浄土門の慈悲とはいっても、結局のところは阿弥陀如来を信じることなのです。
歎異抄や浄土真宗において、最終的な結論が信心にあることは、このように一貫しています。
しかし、この条において重要視すべき点は、人間が与える慈悲は不完全だという聖道門の慈悲だと親鸞会でも述べられています。
どれほど他人を気の毒に感じても、全てを救いきることはできないのだという点です。
親鸞はその事実に対して足掻いたり残念に思ったりすることはなく、事実として受け止めています。
とはいえ、諦めてしまっているわけでもありません。
おそらく、真に人々を救える方法を考えた故のひとつの結論なのでしょう。
歎異抄の歴史
現在、歎異抄は徒然草や方丈記と肩を並べるほど重要な古典で、その3点をして「日本三大美文」とも言われています。
歎異抄は唯円に書かれてから約400年もの間、蓮如によって秘匿されていました。
ですが、その秘匿され続けていた400年の間にも歎異抄の研究等は進められています。
まず、蓮如本と永正本と呼ばれる写本があります。
これらは今現在において原本は発見されていません。
また、蓮如によって記された御文章の中には、歎異抄の引用が見られるものが多くあります。
更に、江戸時代も中期のことですが、本居宣長や荻生徂徠によって再発見された歎異抄は何人かの学僧によって研究されます。
有名なところでは、「歎異鈔講林記」の香月院深励、「歎異鈔聞記」の妙音院了祥が挙げられます。
しかし、以降も秘匿は進められます。
次に再発見されたのは明治時代になってからのことでした。
浄土真宗大谷派の清沢満之を始めとする教団が歎異抄を再発見し、このできごとが歎異抄が世間に広まるきっかけにもなったのです。
歎異抄が周知されるにつれて、親鸞を讃仰する人も次々に現れだしました。
しかし、同時に親鸞の教えが誤解されるという、よろしくない事態も生まれます。
歎異抄に記された親鸞の教えは他力信心。
これは浄土真宗や親鸞の教えを正しく理解できていないと、大変な誤解を生みやすい教えなのです。
蓮如が長きに渡って秘匿し続けてきたのは、もしかするとそのことを危惧したためではないでしょうか。
歎異抄:第三条
歎異抄第三条は、以前にも述べたとおり悪人正機について書かれている条です。
悪人正機の何たるかを、この条ではかなり明確に記されています。
この条に限ったことではありませんが、歎異抄を読むときに気をつけておかなければならないのが善人と悪人の定義です。
特に「悪人」については次のことを念頭においておかなければなりません。
現代に住む我々にとって「悪人」といえば法や道徳を犯した者のことをいいますね。
ですが、歎異抄では、人間としての煩悩に囚われている凡夫を指しています。
言いかえると、煩悩を切り離す術を知らない者、つまり一般的な人間のことなのです。
この定義は仏の視点によるものと考えられます。
さて、悪人正機については以前に述べたとおりですが、正しい意味の悪人正機と比べていることがあります。
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
これの正しい意味は、善人でさえ往生を遂げるのだから悪人はなおさらだ、ということです。
ですが、当時の世間では、この意味を逆に捉える傾向がありました。
すなわち、悪人でさえ往生できるのだから善人はなおさらだ、ということ。
歎異抄第三条では、後者が間違いであることを阿弥陀如来の真意を根拠に説明しているのです。
また、ここでは、救いを得たければ個人の力で足掻くよりも阿弥陀如来に任せてしまった方がいいとも説かれています。
悪人となる道を推奨はしていませんが、そちらの方が悪人をこそ救おうという阿弥陀如来の考えに沿っているということです。
歎異抄:第二条
親鸞聖人本人の言葉であることを考えると、言い知れぬ重みが感じられる第二条です。
歎異抄第二条では、極楽浄土へ行くための真の方法を訊ねる人々に向けた親鸞の語りかけが綴られています。
親鸞が念仏以外に極楽浄土へ行くための方法を知っているのではないかと疑う人々に、親鸞はそういうことを知りたければもっと他の力ある寺を頼った方がいいと言います。
親鸞自身が知っているのはひたすら念仏を唱えることであり、ただそれだけのことを師から教えられてきたのだと。
そして、その方法が確実に極楽浄土へ行けるのか、それとも地獄に落ちることになってしまうのかは分からない、と歎異抄で親鸞は言いきっているのです。
この条で、親鸞は出し惜しみをしているわけでも、謙虚なわけでもなく、ただ自分が知っているだけのことを述べているのだということが分かります。
親鸞は自分のことを例に挙げて、念仏を唱え続けて地獄に落ちるなら自分はそれだけの者だったと割り切ってさえいるのです。
しかし、師から教えられたこの方法が全くの間違いではないことも、根拠を以て述べています。
最終的に、この教えを信じるか信じないかは各人の判断に委ねるとされています。
親鸞自身、自らの教えを説くことはあれど、それを人々に勧めることはないのです。
歎異抄は異議・異端が蔓延る現状を打破するために記されたものではなく、あくまでも親鸞の教えを正しく記したものだと述べたことがあります。
親鸞自身の強要しない考えは、そのまま歎異抄に表されているのでしょう。
歎異抄:第一条
歎異抄は親鸞の教えが記された書ですが、浄土真宗そのものの教えが簡潔に述べられているのが、第一条です。
歎異抄第一条の最初の一文で、阿弥陀如来の慈悲に感謝して念仏を唱えることがあるならば、その時点で救われることが決定している、と述べられています。
それはつまりどういうことかというと・・・
まずひとつに、阿弥陀如来の真なる御心が絶対平等であること。
もともと阿弥陀如来が願ったのは、全ての人間を分け隔てなく救うことだとしています。
年齢の別、貧富の差、また修行や学問の有無なども、救いの対象としては関係のないことだというのです。
それはつまり、善人にも悪人にも同じ救いがもたらされるということ。
人間として逃れられない煩悩や、例え救いようのない煩悩を抱えていようと恐れるに足らず、と説いています。
ふたつめに、我々人間がすべきことは信じることだということ。
阿弥陀如来の絶対平等の御心をひたすら信じるということです。
阿弥陀如来がこれほどに深い慈悲を示しているため、あとは人間がそれを信じるだけでよいのだというわけです。
つきつめて言うと、人間が救われるために努力すべきことは何一つとしてないのだと歎異抄では述べられています。
信心を抱くということさえ、程度の差があっても誰でも救われるとしているので、他者の力に頼っていいのだと言われているのです。
歎異抄は親鸞、ひいては浄土真宗の教えを記された書ですが、言い方を変えれば、究極の他力本願の書ともいえるでしょう。
悪人正機について
歎異抄の前半、一~十条に記されているのは、親鸞の言葉です。
唯円が直接親鸞から聞いた言葉で、特に印象深く残っている言葉が集められています。
その中でも特筆すべきなのが第三条に記された悪人正機説。
第三条は次の言葉から始まります。
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
この言葉の意味については様々な説がありますが、歎異抄の本文中に、これとほぼ同じことを言わんとしている文があります。
そこに書かれているのは「人間がどれほど善行を重ねて徳を得ようとも、煩悩に縛られている人間であるがゆえに浄土へと救われることはない。だからこそ、仏の慈悲に縋ろうとすることこそが正しい救いの道で、仏の慈悲を頼りとする悪人の方が救いを得やすい」という意味のこと。
悪人正機説とはまさにこのことでもあります。
悪人正機説では善人と悪人を対比して、悪人が救われやすい理由を説いています。
その理由とは、まず善人は特に何もしなくても救われます。
悪事はしていないので仏の慈悲に縋ることに必要性を感じず、それでいても救われるのです。
対し、悪人は自らの煩悩によって救われない可能性を恐れます。
そのため、僅かでも救われようと仏の慈悲に縋るのです。
こうして仏に縋らない善人でさえ救われるのだから、仏を頼ってあまりある悪人が救われないはずがない、ということです。
ちなみに、この悪人正機説について歎異抄では詳しく書かれていますが、いちばん最初にこの教えを説いたのは親鸞ではありません。
親鸞の師である法然が新羅の「遊心安楽道」により得た説です。
歎異抄の成り立ち
歎異抄は親鸞の教えが間違えられて広まっていることを唯円が歎いて記した書ですが、そもそも、何故間違えられるようなことになってしまったのでしょうか。
それは、親鸞が亡くなる前に起こった、善鸞の事件がきっかけとなります。
事件の始まりは嘉禎2年(1236年)頃のことでした。
親鸞が急遽京都へ帰ることになり、東国に残された門徒の間では様々な異議や異端が飛び交うようになります。
それを知った親鸞は事態の収拾を図るため息子の善鸞を東国に送ったのですが、門徒たちに善鸞の説得に応じる様子がなかったため、善鸞は次のように言ったのです。
「自分は真に往生する道を親鸞より伝えられた。念仏を唱えることは地獄の道に通じる」
・・・もちろん、親鸞がそのようなことを言った事実はなく、これこそが異端です。
異議・異端の収拾に向かったはずの善鸞自信が異端を説いていると知った親鸞は、善鸞と絶縁、そして破門したのです。
以上が善鸞事件の一部始終となります。
ですが、事件そのものは終わっても異議・異端を説く門徒がいなくなったわけではありませんでした。
唯円が歎いたのはその状況です。
唯円は善鸞事件の当事者ではありませんが、事件のことは親鸞から直接聞いています。
そのため、善鸞事件は歎異抄の重要な背景なのです。
唯円が異議・異端が蔓延る現状を歎いて記したとはいえ、その現状を打破しという力は歎異抄には見られません。
歎異抄はあくまでも親鸞の教えを正しく記したものなのです。
歎異抄とは
「歎異抄」という書物をご存じでしょうか。
歎異抄は読みを「たんにしょう」といい、その歴史は鎌倉時代にまで遡ります。
その昔、親鸞という仏教僧がいました。
親鸞には幾人もの門弟がおり、様々な教えを門弟に説きました。
親鸞がこの世を去ったあとも門弟がその教えを広めてゆくものと思われましたが、どこで間違ったか、親鸞の教えが本来とは異なる意味に捉えられ、広まりだしたのです。
その現状に危惧を抱いたのが、親鸞の門弟の一人である唯円でした。
唯円は師の教えが間違って広まっているという現状を歎き、改めて師の教え理解し直すための書を綴りました。
それが、歎異抄です。
歎異抄は、文字どおり「異なりを歎く」書物です。
冒頭に「歎異先師口傳之眞信」と記されていることから、文頭の文字をとってそう呼ばれるようになりました。
・・・ちなみに、冒頭の意味は「先師(親鸞)の教えの正しい意味とは異なっていることを歎く」となります。
歎異抄が編集された詳しい時期は定かではありませんが、親鸞の死後30年ほどが経ってからのことと考えられています。
西暦にすれば1300年頃、鎌倉時代の後期です。
歎異抄の構成は「真名序」に始まり、本文が18条まで、最後に「後序」を置いて締めくくられています。
本文は大きく前半と後半に分けることができ、それぞれの主な内容は以下のとおり。
真名序
・・・歎異抄が書かれることとなった由来
前半(一~十条)
・・・親鸞の言葉。師訓篇とも呼ばれる。
後半(十一~十八条)
・・・唯円の現状批判。歎異編とも呼ばれる。